小林麻央さんが6月22日に亡くなりました。自宅療養になってから、5ヶ月近くのことでした。

医者からは余命3ヶ月と伝えられていたそうなので、麻央さん、頑張りましたよね。

麻央さんのブログKOKOROがどれだけ多くのがん患者さんやご家族の心の支えになったことか。麻央さんは、多くの人に、前向きに生きる勇気や家族への愛をブログを通して示してくださいました。

麻央さんの手記を読むと、麻央さんが人生に求めていたことがよくわかります。そして、病気になった時、人はどんな風に生きていけばいいのかも。

麻央さんに「ありがとうございます。麻央さんの思いはしっかり受け止めました。どうぞ安らかに眠ってください」そうお伝えしたいです。

※手記の小見出しは、筆者であるオバサマがつけました。

小林麻央がBBCに寄稿した手記

乳がんの宣告

2年前、32歳の時に、私は乳癌であることを宣告されました。娘は3歳、息子はまだ1歳でした。

「治療をして癌が治れば、元の自分に戻れるのだから、大丈夫!」と思っていました。

けれど、そんなに簡単ではありませんでした。今も、私の身体は、がんと共にあります。

参考記事 ※小林麻央の癌はいつから? 遺伝かストレスが原因? 癌の経緯についても

麻央さんは、まさかこの時、長い闘病生活になるとは思っていなかったのですね。楽観的に受け止めていたのに・・・

麻央さんの母親が乳がんで手術されていますから、注意した方が良かったのですよね。

最初に検査した医師がすぐに生体検査をしていれば、もっと早くに癌を発見し、治療を開始できたでしょう。




なぜ癌を隠したのか

私は、テレビに出る仕事をしていました。病のイメージをもたれることや弱い姿を見せることには「怖れ」がありました。

なので、当時、私は病気を隠すことを選びました。隠れるように病院へ通い、周囲に知られないよう人との交流を断ち、生活するようになっていきました。

病を公表するなんて、特に有名人の方々にはむずかしいことなのではないでしょうか。

仕事の依頼がなくなるとか、人気が急落するとか、心配なことはたくさんありますよね。

病を隠すことで、社会とのつながりが断たれていくのですね。

病を隠す心を変えた言葉

1年8か月、そんな毎日を続けていたある日、緩和ケアの先生の言葉が、私の心を変えてくれました。

「がんの陰に隠れないで!」

1年8月もの間、社会から隠れて治療を続けていたんですか。そんなに長い間、よく頑張りましたね。

緩和ケアの医師の言葉をすなおに受け止められたのですね、麻央さん。

その後に、ブログを開設して、癌を公表された行動力と勇気。本当にすばらしく、拍手喝采ものでした。

気づき

私は気がつきました。

元の自分に戻りたいと思っていながら、私は、陰の方に陰の方に、望んでいる自分とはかけ離れた自分になってしまっていたことに。

何かの罰で病気になったわけでもないのに、私は自分自身を責め、それまでと同じように生活できないことに、「失格」の烙印を押し、苦しみの陰に隠れ続けていたのです。

1年8ヶ月もの間、麻央さんは自分を責めて苦しんでいたのですね。

元の自分に戻ることを願いながら、反対の苦しみの世界に生きていたということでしょう。




理想の母親像

それまで私は、全て自分が手をかけないと気が済まなくて、全て全てやるのが母親だと強くこだわっていました。

それが私の理想の母親像でした。

麻央さんの理想の母親像とは、すべて自分でやる。子供たちの面倒をすべて自分がみるということでしょうね。

仕事で忙しい時に、子供たちの食事の用意など、人に頼まない。自分で作るということでしょう。

完璧な母親を目指していたのでしょうか。

入院生活

けれど、病気になって、全て全てどころか、全くできなくなり、終いには、入院生活で、子供たちと完全に離れてしまいました。

母親として子供たちのことをすべてやりたかったのに、全くできなくなったなんて、とても皮肉ですね。

さらに、入院してからは、子供たちと離れて暮らすことになったのですから、どんなに辛かったことか。

子供たちも幼いのに、お母さんがいない家で暮らすのは、どんなに心細く、母親に会いたかったことでしょう。

理想の母親についての気づき

自分の心身を苦しめたまでのこだわりは失ってみると、それほどの犠牲をはたく意味のあるこだわり(理想)ではなかったことに気づきました。

麻央さんは、理想の母親を実践したくてもできず、かなり苦悩されたのですね。

でも、それが意味があるこだわりではなかったことに気づいた、とのこと。

さぞや気が軽くなったことでしょう。思い込みが強いと疲れますからね。

子育てを1から10まですべて自分がやらなきゃダメだと思っていたのでしょうか。

梨園に嫁いた女性は、世間一般の女性よりも子育ての責任感が強くなってしまうのかもしれませんね。

家族の愛

そして家族は、私が彼らのために料理を作れなくても、幼稚園の送り迎えができなくても、私を妻として、母として、以前と同じく、認め、信じ、愛してくれていました。

私は、そんな家族のために、誇らしい妻、強い母でありたいと思いました。

あ~、麻央さんのご家族の愛を感じてウルウルなりますね。家族や夫婦って条件付けの愛じゃないですから。

食事の準備や家事ができないから、ダメな母親だなんて、誰も思わないでしょう。

ダメ母だと思う夫や子供たちがいるとすれば、家族のきずなや愛が日頃からない家族でしょうね。

それは夫や子供たちだけでなく、母親自身にも問題があるからでしょう。

家族とは、だれかが病気になれば、必死で看病し、早く良くなってもらいたいと心の底から願うものです。




闘病ブログ ”KOKORO” の公開

私は、闘病をBlogで公表し、自ら、日向に出る決心をしました。

すると、たくさんの方が共感し、私のために祈ってくれました。

そして、苦しみに向き合い、乗り越えたそれぞれの人生の経験を、(コメント欄を通して)教えてくれました。

私が怖れていた世界は、優しさと愛に溢れていました。

今、100万人以上の読者の方と繋がっています。

ブログの公開は、市川海老蔵さんや関係者にとって、青天の霹靂(せいてんのへきれき)だったそうですね。

まさか、妻の麻央さんが闘病ブログを書くなんて思っても見なかったそうです。

妻のブログの公開を反対せず、見守られた海老蔵さんはステキです。

勇気を持って、表に出て生きて行くことを決意し、ブログを公開された麻央さん。

たくさんの共感を得て、大人気のブログになりましたよね。

麻央さんのブログのコメントは深いものが多いです。

>優しさと愛に溢れていました。

まさにそうですね。麻央さんがステキだから、麻央さんのブログ読者さんもステキなんですよ。

人の死と病気について

人の死は、病気であるかにかかわらず、いつ訪れるか分かりません。

例えば、私が今死んだら、人はどう思うでしょうか。

「まだ34歳の若さで、可哀想に」「小さな子供を残して、可哀想に」でしょうか??

私は、そんなふうには思われたくありません。なぜなら、病気になったことが私の人生を代表する出来事ではないからです。

>病気になったことが私の人生を代表する出来事ではない

強く前向きな言葉ですね。

たしかに、いつ死ぬのか、だれにもわかりません。

特に若いうちは、人生の終わりがはるか遠くに思え、考えることすらしないでしょう。

病気に心がとらわれてはいけませんね。病気以外に人生には色々なことがあるということです。

小林麻央さんの人生とは

私の人生は、夢を叶え、時に苦しみもがき、愛する人に出会い、2人の宝物を授かり、家族に愛され、愛した、色どり豊かな人生だからです。

だから、与えられた時間を、病気の色だけに支配されることは、やめました。

なりたい自分になる。人生をより色どり豊かなものにするために。

だって、人生は一度きりだから。

麻央さんの人生は、ご本人が言われるように色どり豊かな人生ですね。

アナウンサーの仕事、歌舞伎スターの結婚、二人の子供の出産と子育て。女性として、愛と豊かさに満ちた人生だと思います。

そんな麻央さんが隠遁者のように病気を隠してこそこそと治療をしていたのです。心から元気がなくなりますよね。色どりがない、モノクロの世界に沈んでいたということでしょう。

気づきがあり、色どり豊かな世界に戻って来たのです。麻央さんの勇気と行動力で。

BBC「100人の女性」に日本人として初めて選ばれた理由

この「100人の女性」は世界中の女性を対象にしています。人の心を動かし、影響力がある女性にBBCが取材して選ぶのです。

小林麻央さんは2016年のBBC「100人の女性」の一人に選ばれたのです。

理由は、ブログを通して、がんと闘う人だけでなく、多くの人を元気づけたからでした。

参考記事※小林麻央の癌はいつから? 遺伝かストレスが原因? がんの経緯についても