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天海祐希の宝塚時代の伝説10選!退団理由もカッコいい!


 


 
今回は女優、天海祐希さんの宝塚時代の伝説をお伝えしますが、その前に簡単なプロフィールをご紹介します。

天海祐希さんの本名は中野祐里(なかの・ゆり)と言います。

1967年8月8日生まれで(2019年12月現在52歳)東京都台東区東上野のご出身です。

オバサマ
オバサマ
ちゃきちゃきの江戸っ子ですね。

背が高くて、身長は171cm、血液型はO型、建設業を営む父親と美容院経営の母親の元で育ちました。

上にお兄さんが一人、弟が一人いるとのことです。

 

大女優としての地位を築き上げた天海祐希さん。宝塚歌劇団出身ということは良く知られています。

さばさばした話し方、考え方で男女問わず人気の女優さんです。

ただ天海祐希さんの宝塚時代には数々の驚きの「伝説」が残されているので、ご紹介します。

 

天海祐希の宝塚時代の伝説


 

天海祐希さんは宝塚歌劇団に1987年、73期生として入団しました。

初舞台は「ミー・アンド・マイガール」です。

歌劇団を退団したのは1995年。その後はテレビドラマ、映画など女優として幅広く活躍中であることは、皆さんよくお存じかと思います。

「伝説」というと一体何があったんだろう…と思われますよね。

では今からひとつずつ見ていきましょう。

伝説1:宝塚音楽学校に同期中一番の成績で入学

天海祐希さんさんは宝塚音楽学校に一番の成績で入学しています。

そもそも天海祐希さんが宝塚歌劇団に入ろうとしたきっかけは、中学2年生の時担任だった宝塚ファンの先生から勧められたからだそうです。

意外にも子どもの頃からずっと憧れていたというわけではなかったようです。

もちろん努力は相当されたのでしょうが、一緒に受験した生徒の中でトップというのは
なかなかできるものではありませんよね。
 



 

伝説2:「よくぞ産んでくださった」

「よくぞ産んでくださった」この言葉は入学試験を受ける天海祐希さんを見た宝塚歌劇団所属の演出家、植田紳爾氏が天海祐希さんの母親に言ったひと言です。

何百人ものタカラジェンヌと接してきた演出家には、受験の時からほかの人とは違う何かを天海祐希さんに感じていたのでしょう。

長身で、見た目の美しさだけでなく、カリスマ性や、歌や踊りの才能もありますからね。

そしてその目に狂いがなかったことは今の女優としての活躍にも通じています。

伝説3:あまりの実力に新人公演の主役に最速で抜擢

天海祐希さんはその実力の高さから、新人公演の主役に宝塚史上最速で抜擢されているのです。

宝塚歌劇団には新人公演があり、入団7年目までの若手が出演するのです。

本公演に進めるのはその中でも実力のある人だけ。いわば新人の登竜門。

ファンにとっては将来トップスターになりそうな人を見つけるための公演といっても過言ではないでしょう。


 

そんなお披露目の大事な舞台に、天海祐希さんは入団なんと10か月で主役に抜擢されたのです。

当然ですが主役の座はたった一人にしか与えられません。

天海祐希さんの実力がすごかったことを物語っています。

伝説4:お茶会でファンに暴言!?

天海祐希さんはファンとのお茶会で暴言を吐いていた!?

宝塚歌劇団にはファンを招いての「お茶会」が催されることがあります。

天海祐希さんは当時、大人気だったため、たくさんのファンが会場に詰めかけました。

 

そして、のんびり写真を撮っていたファンに向かって、次の衝撃的な言葉を言い放ったのです。

「てきぱき動きなさい!」

「さっさと終わらせれば、その分たくさんお話しできるんだから!」

 

普通ファンに向かってそんなこと言う?と思った方、これは実は天海祐希さんの「愛」なのです。

実は段取りや運営が上手くいっていなかったからなのですが、

「段取りが悪いとファンの方と過ごす時間が少なくなってしまう」

そんなファンを想う気持ちから出た言葉なのです。

言い方はちょっときつかったかもしれないけれど、会場におられたファンの心にきっと響いたことでしょう。

 



 

伝説5:夜10時以降のファン出待ちと手紙の受け渡し禁止令

「夜10時以降は出待ちはしないでください」

憧れのスターを遠くからでもいいから一目見たい。

そんな思いで「出待ち」をしたことがある人もいらっっしゃるのではないでしょうか?

中にはスターがなかなか出てこず、家に帰るのが遅くなってしまったなんてことも。

 

天海祐希さんにもたくさんの「出待ち」ファンがいたそうなんですが

「夜10時以降は出待ちはやめてください」とはっきりファンに伝えたそうです。

その理由は「女性が夜遅くに外にいるのは危険」だから。

オバサマ
オバサマ
確かにそうですよね。

 

それと入り待ちと出待ちの際の手紙の直接の受け渡しも禁止にしました。

手紙はすべてスタッフが受け取ることになりました。

これは、自分だけでなく他のメンバーの出入りがスムーズにいくようにという配慮です。

 

スターはファンに嫌われたくないので、なかなかこういうことを言う人は少ないでしょうね。

でもこれが天海祐希さんらしいと言えるかもしれません。

伝説6:大階段での見どころ「羽根」を拒否


 

自身の退団公演のラスト、大階段で天海祐希さんは背中に羽根を付けていなかった!

宝塚歌劇を一度でもご覧になられた方はお分かりでしょうが、

舞台のラストでは主役が大階段から背中に大きな羽根の飾りをつけて降りてきます。

そこがファンにとってのメインイベント、待ってました!という場面です。

 

ところが天海祐希さんさんは自分自身の退団公演で、なんとその羽根をつけませんでした。

理由は、「私らしくないから」と!

タカラジェンヌの天海祐希というよりも、天海祐希自身を優先したようです。

伝統と格式を重んじる宝塚でしきたりを破って許されたのは、後にも先にも天海祐希さんくらいでしょう。

それほど特別な存在だったのです。

 



 

伝説7:ファンはみんな同じぐらい大事

ファンはみんな同じぐらい大事にする天海祐希さん。

宝塚歌劇にはいつも近くにいて世話を焼いてくれる熱烈ファンや、新人時代を含め長い間そのスターだけを追いかけてくれる年季が入ったファンもいます。

反対に最近ファンになった人、家が遠いので頻繁に宝塚歌劇を見に行けないファンもいるでしょう。

それでも人間、どうしても自分に良くしてくれる人をひいきしたい気持ちになるものですよね。

でも天海祐希さんはどのファンも大事という考えです。

 

退団記念のイベントのとき、ファン全員に全く同じワイングラスをプレゼントしたそうです。

天海祐希さんらしい「分け隔てなくみんな私のファン」という姿勢が出ているエピソードです。

これもタカラジェンヌの伝統としきたりを破る行為でしたが、天海祐希さんだからできたことでした。

伝説8:さすが!最速でトップスター

宝塚史上最速でトップスターへ。

1993年天海祐希さんは入団7年目で月組トップスターの座に駆け上がり、その後数々の舞台で主役を演じています。

宝塚には「男役 10年」という言葉もあるほど男役として成長するには年月がかかるのです。

しかし、天海祐希さんはそれをたった7年で成し遂げてしまったのです。

 

171cmの高身長で舞台映えし、キリっとした美形の顔立ちでファンのハートを掴み続けた天海祐希さん。

でもそれだけでは異例の短い年数での抜擢はありえないでしょう。

オバサマ
オバサマ
才能もですが、人よりも陰で涙ぐましい努力をされていたのではないでしょうか。

伝説9:早すぎる!?スピード退団

早すぎるスピード退団。

天海祐希さんは1987年に宝塚歌劇団に入団し、1995年に退団しています。

28歳の決断でした。

1993年にトップスターになってからはたったの約2年でした。

 

トップにのぼりつめるには相当の苦労があっただろうと思われます。

しかし、あっさりとその地位を捨て、女優として次のステージに挑戦しようと決断できる潔さは見習いたいものですね。

伝説10:サヨナラ公演で同期に挨拶

サヨナラ公演で同期に挨拶!?

普通の退団公演(サヨナラ公演)では、スターはお世話になったファンに手を振りながら最後の挨拶をするのが伝統です。

しかし、天海祐希さんは違いました。

一緒に舞台に立っていた仲間たちへ目線を送り挨拶をしたのです。

ファンのことももちろん公平に大事にしてきた天海祐希さんですが、今、自分がここまでやってこれたのは仲間のおかげだと舞台上で感謝の気持ちを表したのです。

慣習にとらわれず、自分がいいと思った行動を取る天海祐希さんならではのエピソードです。

 



 

天海祐希さんが宝塚を退団した理由は?

2019年4月10日に放送された「徹子の部屋」で天海祐希さんはこんな事を語っています。

(要約)「初舞台で演じた【ミー・アンド・マイガール】を再演するという話を知った時、なんだかスケジュール表が光り輝いているように見えてここでやめようと思ったんです」


 

(要約)「両親の教えに【年相応、分相応】というのがあって、いつも口をすっぱくして言われていました。

100万円のプレゼントをしてくれる人も、10円の飴をくれる人も同じように大事にしなさいと」

「若い頃より年を重ねたらその意味が分かるようになって」

オバサマ
オバサマ
「年相応、分相応」、いい言葉ですね。

建設業をされていた父親と美容院を営んでいた母親からずっと言われ続けたこの言葉が「伝説」と呼ばれた天海祐希さんの行動の原点なのかもしれません。


 

ただ、それでもちょっと退団を決めるのが早すぎるような気もしたので、ここでちょっと推理をしてみましょう。

・いじめにあった?

異例の出世のほか数々の伝説を残す天海祐希さんだけに、快く思わない人も中にはいたかもしれません。

しかし、抜きんでた才能と努力が評価されただけですので、これは信じにくいですね。

・先輩にトップになれる可能性を残すため

天海祐希さんがもしトップの座に10年いつづけたとしたら、在籍年数が長い先輩方は月組のトップになることはできなかったでしょう。

頭のよさそうな天海祐希さんならもしかしたらその辺りも考えていたかもしれませんね。

・女優として早く再スタートを切りたかった?

これが一番しっくりくる感じですね。

決断も行動も早い天海祐希さんなら、宝塚歌劇団で成功し知名度のあるうちにいろんな役に出会って、女優として早く次のステージに立ちたかったのではないでしょうか。

オバサマ
オバサマ
中学の時は演劇をやっていたので、もともと女優の道に興味があったのでしょうね。

 

天海祐希 宝塚時代のまとめ

宝塚歌劇団時代にこんなに数々の天海祐希さん伝説があったとは!今回調べてみて驚きました。

今は年齢を重ねられて、少し丸くなられたのかもしれませんね。

でもぶれない、芯の通った考え方や発言は変わっていないようで、そこが男女問わず人気の理由なのでしょう。

これからもドラマや映画、舞台にと活躍を期待したいですね。

 



 

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