俳優・女優

寛一郎の母は誰?父や祖父はあの俳優だった!経歴と学歴も!

 



 

俳優の寛一郎くんの母親など家族や、経歴・学歴についてまとめてみました。

寛一郎くんは、中島健人くん主演映画「心が叫びたがっているんだ」で俳優デビューしました。

2017年7月の映画公開当時、20歳です。

父親と祖父も俳優という一家に生まれ、三世俳優としても、注目されています。

 

寛一郎の母は誰?画像は?

寛一郎くんの母親は、元舞台女優の広田亜矢子さんです。俳優座の女優さんでした。

舞台女優さんなので、テレビや映画には出ていません。

はっきりした年齢は見つけられなかったのですが、現在は50代前半だと思われます。

 

1991年のパルコ劇場で上演された「ハイディの青春」という作品のパンフレットの出演者に、廣田亜矢子さんという名前があり、寛一郎くんの母親のようです。

出演者には島田陽子さんや秋川リサさん、三浦浩一さん(故 純アリスさんの夫)の名前があります。

→ 舞台ハイディの青春のパンフ

 

1993年に俳優の佐藤浩市さん(当時32歳)と結婚し、女優をやめています。

1993年に結婚して3年後、1996年に寛一郎くんが生まれています。

寛一郎の父と母

 

お母さんは、女優の広田レオナさんと従妹です。

さらに一般人の妹が俳優の故・原田芳雄さんの長男と結婚しています。

ミュージシャンの原田喧太さんです。

寛一郎くんと原田喧太さんは甥と叔父の関係ですね。

こうしてみると、母方も芸能一家ですね。

 



 

寛一郎の母親と父親の馴れ初めは?

寛一郎くんの母親と父親の佐藤浩市さんの馴れ初めについて、仲の良い明石家さんまさんが明かしています。


 

寛一郎くんの母親は、父親の大ファンで、佐藤さんと会うために女優になったというのです。

そして、母親が猛アプローチをして、結婚に至ったのです。

結婚と同時に、佐藤さんの方からのすすめで、劇団は退団し、芸能界を引退しました。

芸能界引退については、大好きな佐藤さんと結婚したのだから、女優業に未練はなかったのでしょう。


 

寛一郎くん、父と母、どちらににているにでしょう?

眉毛とか濃かったりするところは父親のような気がしますが、

もう少し柔らかい感じがして、特に顔が細くて面長で、目が母親に似ていると思います。

 

寛一郎の母親と父親の夫婦愛がスゴイ!

寛一郎さんの母親は、認知症の姑を自宅で献身的に介護しています。

愛する夫のお母さんですから、介護のご苦労はあると思いますが続けられていると思います。

寛一郎くんのお母さんの深い夫婦愛については夫宛ての手紙をのちほどご紹介します。
 

寛一郎さんの祖母、父親佐藤浩市さんの母は、2008年脳梗塞で倒れました。

一命はとりとめたのですが、認知症がひどくなりました。

 

祖母は、三國連太郎さんと結婚するまで、神楽坂の芸妓さんだったとか。

離婚後、スナックを経営して息子の佐藤さんを育てました。


 

母親にも心のささえとなるような男性が現れ、家にも来るようになりました。

佐藤さんは、母親の女としての姿に耐えられず、高校2年で家を出ました。

父とも母とも確執があったなんて、辛かったことでしょう。

 

母親は、その男性とずっと一緒に暮らしていたのですが、すでに他界していて、1人暮らしでした。

そんな時に倒れ、施設に入院していましたが、30年間絶縁していた母親を佐藤さんが自宅に引き取って面倒みたいと妻に相談。

妻は快く応じ、バリアフリーで、エレベーターも完備した家を新築しました。

以来、妻の亜矢子さんは、献身的に介護を続けています。

倒れてから11年経っていますので、亡くなられたかもしれないですね。

 



 

2015年公開の佐藤浩市さん主演の映画「愛を積むひと」の舞台あいさつで、佐藤さんは男泣きし話題になりました。

共演の樋口可南子さんが妻からの手紙を読み上げたからでした。

何となくこの場面、テレビのワイドショーで見た記憶があります。


 

その手紙には、寛一郎くんの母親の父親への深い愛が書かれていました。

「自分が死んだら保険金で好きな映画を作ってね」とあなたに言ったことがありました。

自分が浩市さんより先に逝ってしまうような気がしたのは本当です。

23年前に浩市さんから頂いたお手紙にあった「僕は一生あなたの味方です」という言葉を今も忘れません。

私は浩市さんをひとりにしないように、浩市さんより1日でも長く生きることを約束します。

寛一郎くんのお母さんは、お父さんのことを心から愛しているのですね。

ステキなご両親の元に生まれた寛一郎くんは幸せです。

 

樋口可南子さんは、この映画のプロモーション中も、

時々話に出てくる佐藤浩市さんの妻の話に、愛しているだなあと感心していたということです。

 

寛一郎くんの父親の佐藤さんは、自分の子供の頃は幸せな家庭ではありませんでした。

それに一度結婚にも失敗していますが、ちゃんと幸せな家庭を築くことができて、本当によかったです。

 

寛一郎の兄弟は?

寛一郎くんに兄弟はいませんが、異母兄弟がいます。

父親の佐藤浩市さんは、25歳で、1986年にモデルの女性と結婚し、3年後1989年に離婚しています。

前妻とは、でき婚だったということで、男の子が生まれています。

しかし、親権は母親が持ちました。


 

息子はすでに30代ですが、父子の交流はなかったので、当然、寛一郎くんとも交流はないでしょう。

佐藤さんは、自分が父親とほとんど親子の交流がなかったので、息子にどう接していいのかわからなかったそうです。

そういうことも前妻とうまく行かなかった原因でしょうね。

前妻が再婚して、新しい父親を実の父のように慕い、幸せに暮らしているのであれば、

連絡は取り合わない方がよかったということもあるでしょう。

 



 

寛一郎の父と祖父について

寛一郎くんの父親は、俳優の佐藤浩市さんです。

さらに、祖父は、俳優の故・三國連太郎さんです。

父の佐藤浩市について


 

佐藤さんは、多摩芸術学園映画学科在学中の19歳のときに、NHK「続・続事件 月の景色」でデビューしました。

複雑な心理の殺人犯の少年の役でした。

かっこいいわけでも、特に好きというわけでもないけれど、演技に引き込まれて、何か心に引っかかるところがありました。

 

映画「青春の門」日本アカデミー賞新人俳優賞、ブルーリボン賞新人賞を受賞しました。


 

舞台出演も期待されていましたが、「自分は映像で際立つ人間である」と映画やテレビのみにこだわっています。

佐藤浩市さんは、年を取るごとに魅力が増して、数々の映画賞を受賞しています。

代表作は、「青春の門」「魚影の群れ」「忠臣蔵外伝 四谷怪談」「愛を積むひと」「壬生義士伝」「ホワイトアウト」「64-ロクヨン-」「楽園」他

祖父の三國連太郎について


 

三國連太郎さんは、1923年1月20日生まれで、2013年に90歳で亡くなっています。大往生ですね。

三國さんは、終戦を、出征していた中国で迎え、日本に戻った後もいろいろな職業についていました。

 

1950年、27歳のとき、東銀座で松竹のプロデューサーにスカウトされ、映画界に入りました。

最初の役名・三國連太郎をそのまま芸名にしました。

 

映画賞も数多く受賞し、出演作は数多くありますが、1部を紹介します。

映画「利休」「飢餓海峡」「息子」「復讐するはわれにあり」「親鸞 白い道」「美味しんぼ」「釣りバカ日誌シリーズ」「座頭市シリーズ」

1984年 紫綬褒章を受章しています。


 

三國さんは、4回結婚していて、2回は映画界に入る前だったということです。

3度目の結婚で佐藤浩市さんが生まれました。

 

三國さんは佐藤さんが小学校6年の時に、家に帰って来なくなり、離婚してしまいました。

離婚する前も、撮影等のために家にいることが少なく、たまに一緒にご飯を食べるのも気まずかったと言っています。

 



 

父子の仲は、息子・佐藤さんの結婚、孫・寛一郎さんの誕生で、長年のわだかまりは溶けて行ったということです。

寛一郎さんの小学校の卒業式の謝恩会で、父親と祖父、佐藤浩市さんと三國連太郎さんの2人で、三谷幸喜さん作の朗読劇を披露したとか。

 

もうこれは仲がいいということですね。子はかすがいといいますが、佐藤家の場合、孫はカスガイでしょう!

その場に居合わせた親御さんや先生方は、感激だったでしょうね。

 

寛一郎の経歴は?学歴や出演ドラマや映画について

寛一郎くんの経歴や学歴、出演したドラマや映画について紹介します。

プロフィール

名前:寛一郎
本名:佐藤寛一郎
生年月日:1996年8月16日
年齢:23歳(2019年10月現在)
出身地:東京都世田谷区
身長:181㎝
血液型:A型
所属事務所:T-artist

 

学歴は?

寛一郎くんは、幼稚園、小・中・高校と成城学園に通っていました。

生粋のお坊ちゃまですね。

中・高は、偏差値64、むずかしいですね。

中学生の時はバスケットボールをやっていましたが、高校では何にも夢中になっていなかったと言っています。

内部進学が可能だったと思われますが、ちょうど、高校卒業の頃に役者になる決心をしたのか、大学には行きませんでした。

アメリカに短期留学をして演技の勉強をしています。

役者(俳優)になったきっかけは?

寛一郎くんは、物心がついてからは、俳優以外の他の仕事にあこがれを持ったことはないといいます。

役者になることは、寛一郎くんの必然だったのです。

 

寛一郎くんは、小さい時から、父親・佐藤浩市さんの撮影現場について行っていました。

父親には、俳優になってほしい気持ちがあったのでしょうね。

また、撮影で忙しく、息子に接する時間があまりないから、現場に連れて行っていたとも考えられます。

 

寛一郎くんは、「俳優になりたい」と言うのが怖くて、「将来は何になりたいの?」聞かれることが嫌いでした。 

一番近い職業が俳優だったけれど、どこかに否定する気持ちもあったのです。

否定するというのは気にしている証拠だったと、自分で振り返っています。

 



 

思春期を過ぎて、やっと役者という仕事に向き合えるようになったのが18歳だったのです。

演技の勉強をほとんどしないで入った世界、子供の頃の現場での経験がいくらかは役に立っているのかもと言っています。

実際カメラの前に立っているわけではありませんが、演じるということが、一般の人よりは具体的に感じられていたようです。

 

それと映画が好きで、子供のころからずっと観て来たことも役者としての素養になっているのでしょう。

何と言っても、母親は俳優座出身の女優、父親と祖父は日本を代表する俳優です。

その子供ならDNAに役者の遺伝子がしっかり組み込まれているのではと思います。

出演ドラマや映画は?受賞は?

出演したドラマや映画、代表的なものを紹介します。

映画

「心が叫びたがっているんだ」


 

2017年7月公開 主演・中島健人 ヒロイン・芳根京子

クラスメート・田崎大樹役を演じました。

略称「ここさけ」で、2015年にアニメーション映画として大ヒットした作品の実写版映画です。

「ナミヤ雑貨店の奇蹟」


 

2017年9月公開 主演・山田涼介

コソ泥をして逃亡中に不思議な体験をする3人組の1人・幸平役を演じました。

東野圭吾原作の手紙が時代を超える、ファンタジックで謎めいている感動作です。

「菊とギロチン」


 

2018年7月公開  主演・木竜麻生

公開は後ですが、初出演作品、デビュー作品です。吉田大次郎役。

関東大震災直後に実在していた女相撲の一座とアナキスト(無政府主義者)集団「ギロチン社」の若者たちの青春群像劇です。

制作は1口50万の出資金で行われ、宣伝と配給の費用はクラウドファンディングで集められました。

「君がまた走り出すとき」

2019年3月公開  寛一郎主演

寛一郎くん、初主演の映画です。俳優デビュー3年目で主演抜擢とは、早いですね。

川口市と埼玉県が主催したSKIPシティ映画祭15周年記念のオープニング作品。

実在のマラソンランナーとその姿からマラソンを始める人たちの話です。

「雪子さんの足音」

2019年5月公開 主演・吉行和子

月光荘の住人・湯佐薫役です。

高円寺の家賃5万円のアパート月光荘の大谷さんの雪子さんと、住人達とのお話です。

 



 

テレビドラマ

「ドロ刑-警視庁捜査三課-」

2018秋ドラマ・日本テレビ 主演・中島健人

10月27日放送 第3話出演

捜査三課は、窃盗(空き巣、ひったくり等)担当です。

 

「リーガルV ~元弁護士・小鳥遊翔子~」


 

2018秋ドラマ・テレビ朝日 主演・米倉涼子

12月6日13日放送 第8話・第9話(最終話)

弁護士資格を失った女性が弁護士事務所を作り、大手事務所に対抗して行く話です。

「グランメゾン東京」

2019秋ドラマ・TBS 主演・木村拓哉

従業員の芹田公一役です。

転落した天才シェフが、東京で三ツ星レストランを目指す話です。

受賞

2017年

「心が叫びたがっているんだ」「ナミヤ雑貨店の奇蹟」

〇日本映画批評家大賞の新人男優賞 

2018年

「菊とギロチン」

〇キネマ旬報ベストテン 新人男優賞

〇高崎映画祭 最優秀新進俳優賞

〇日本映画批評家大賞 助演男優賞

   
 

寛一郎のまとめ

寛一郎くんの母は、元舞台女優の広田亜矢子さんです。

父は俳優の佐藤浩市さんで、祖父は俳優の三國連太郎さんです。

幼稚園から成城学園で、2014年成城学園高校を卒業後、半年間アメリカ留学し、演技の勉強をしました。

デビュー作品は、2016年に撮影され、2018年に公開された映画「菊とギロチン」です。

 



 

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